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Form in Motion: 映画制作者マット・ハンソン(Matt Hanson)氏のインタビュー

Andrea Codrington

Andrea Codrington

 

Matt Hanson

Matt Hanson

 

作成日:
2006年9月20日
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マット・ハンソン氏が現れる以前は、映画とグラフィックデザインの融合は映画のタイトルおよびキャスト紹介で見られました。それは短い時間ですが、色彩、活字、動きを組み合わせた表示で、少なくとも観客に映画のキャストと制作スタッフを知らせる役割を果たし、また、これから始まるストーリーの雰囲気とスタイルを伝える役目もありました。 ハンソン氏のビジョンは、デザイナーがデジタル技術の助けを借りて、他のアーチストの作品を紹介するだけでなく、独自の映画を制作するということでした。 1996年、同氏は、初のデジタルフィルム制作フェスティバルで現在最も影響力のあるワンドットゼロ(onedotzero)を設立しました。これは、ロンドンの現代美術研究所(Institute of Contemporary Art)で毎年開催されています。

フェスティバルを開催し始めて5年後に、同氏はワンドットゼロを辞めました。その後、自らの映画制作に没頭し、また映画制作に関するいくつかの本を執筆しています。例えば、 『The End of Celluloid: Film Futures in the Digital Age』(Rotovision発行、2004年)、 『Motion Blur: Graphic Moving Imagemakers』(Collins Design発行、2004年)、 『Building Sci-Fi Moviescapes: The Science Behind the Fiction』(Focal Press発行、2005年)および 『Reinventing Music Video: Next-Generation Directors, Their Inspiration and Work』(Focal Press発行、2006年)があります。

現在、ハンソン氏は映画の制作方法だけでなく、制作のための資金調達方法についても検討を重ねています。 ネットワーク技術の出現やクラウドソーシングの現象、また、時には手の届かないほどの莫大な映画制作費に対する自身のフラストレーションから、同氏は「A Swarm of Angels」と呼ばれる新しい映画制作方法を考案しました。 目標は、ネット上で5万人の映画ファンを募り、その一定の自主的コミュニティを通じて100万ポンドを調達して、1年以内に長編映画を制作することです。

アンドレア・コドリントンが、イギリスのブライトンにあるハンソン氏のスタジオで、デジタルデザイン、大衆の持つパワー、従来の映画制作の階層を覆すことについて、同氏に話をお聞きしました。

City of Hollow Mountains

図1: ザ・ライト・サージョンズ(The Light Surgeons)制作、ハンソン氏プロデュースの短編映画『City of Hollow Mountains』からのイメージ

デジタルフィルムやデジタル映像に関わることになったきっかけは何ですか。

私は、ロンドンから文化的にも地理的にも何マイルも離れたヨークシャーで育ちました。 ロンドンに引越してから、大学時代はいつも金曜日は休んで映画を見に行っていました。そして、『Face』や『Dazed and Confused』などの雑誌にシネマレビューを書き始めました。 また、Webにも興味を持ち始めました。 1990年代初めは、この分野で革新的なことを行っている人はまだほとんどいませんでした。 私以外で電子メールアドレスを持っている人間は周りにいなかったのです。1人では使い道がないですよね。 14.4モデムとブラウザにMozaicを使っていました。

どうしてそんなに早くデジタルとインタラクティブ技術に興味を持ったのだと思いますか。 そこから何かができるという期待はありましたか。

映画に情熱を持っていたことと、インターネットに興味を持ち始めたことから、自然発生的に生まれたんだと思います。 デジタルの変わっていく性質が好きなんです。いじって手を加えることができますからね。 これはまだ未完成の分野でしたし、今でもそうです。だから、この分野で何かを残すこと、できれば影響を与えるようなことができるのではないかと思ったのです。 普通は概念的なレベルで考えるのですが、この始まったばかりの分野に興味を持ったとき、ただ大きな可能性が秘められているという直感がありました。 文化的には、絶対何か違ったことをしたいし、個人的にも、映画で自分独自の方向に進みたいと思ったのです。過去の道をなぞるのではなく。 大成功したと思うこともあれば、失敗だったと思うこともあります。 でも全く失敗したことがなければ、それは十分に試していないということでしょう。 十分に試してみれば、別の形で成功するはずです。 例えば、私は当時実現できなかったアイデアを、私の著書『The End of Celluloid: Film Futures in the Digital Age』で再利用しています。

映画とインターネットを結びつけることは自然に思えますが、当時、オンラインの映画はとてもマイナーでした。 私はニューヨークで『Blender』というCD-ROMマガジンの仕事をしていましたが、その時は、テキストがあらゆる種類のメディアにリンクするハイパーテキスト形式のインタビューを利用していました。 このように異なるメディアの間に潜り込むことが好きなのですが、当時はまだ準備が万端ではありませんでした。

Salaryman 6

図2: ハンソン氏は、ジェイク・ナイト(Jake Knight)監督の受賞作品『Salaryman 6』のクリエイティブプロデューサーを務めています。この映画はワンドットゼロのために制作されました。

「メディアの間に潜り込む」ということについて、もう少し詳しく話していただけますか。

大抵の人は水平的なつながりを軸として活動していると思います。 つまり、何か特技があれば、その技術を適用できるさまざまな業界に身をおきます。クリエイティブな業界であれ、その他の業界であれ、関係ありません。 一方、私はもっと垂直的なつながりを軸として活動しています。ですから、デジタルフィルムでは、脚本も書けば、ディレクターやプロデューサーにもなりますし、また同じ土俵で批評を述べたり、構想をまとめたりもします。 これまでプロデュースしてきたインタラクティブな作品や、映画、インストレーション、VJイベント、本などは、すべて映像にまつわるものです。

今は垂直的なつながりを軸として活動する人が増えています。 これは、文化的な製作の発展と大いに関係があります。 専門とするのはスキルですか、それとも1つの分野ですか? メディアとクリエイティブの間に潜り込むのがすごく自然に感じられます。 アーチストは昔からそういうものでしたが、今はそれがもっと受け入れられるようになっています。 これはデジタルメディアと関係があります。今はツールセットを使用して、メディア間をよりスムーズに移動できるようになりました。

あなたが設立したフィルムフェスティバル、ワンドットゼロは、デジタル映画制作の祭典であるだけでなく、デジタル映画の創作や定義付けにも役立っています。 ワンドットゼロはどのようにして発足したのですか。

雑誌の編集プロセスにフラストレーションを感じて、デジタルフィルムフェスティバルを設立することにしました。 当時のロンドンでは、Tomatoなどの新しいメディアグループの出現が話題になっていました。 デザインとモーショングラフィックスの世界の夜明け前だったのです。 ワンドットゼロにはショーケースにするほどの十分なデジタル作品がなかったので、制作フェスティバルとすることにしました。つまり、駆けずり回って参加を依頼したのです。 当時、面白いことをしていると思う人にアプローチして、働きかけました。 実際呼びかけるデザイナーは誰1人知りませんでしたが、彼らは私のアイデアにとても理解を示してくれました。 私は、スタイリスティックなアングルにこだわって、映画によく見られる決まりきった物語はやめにしたいと考えました。デザイナーたちもそれに快く同意してくれました。

参加者にはどのような課題を与えましたか。また、デジタル技術を使用することがなぜ重要だったのでしょうか。

デジタルであることは不可欠でした。 フィルムフェスティバルの計画は、テーマを観点にするのではなく、概念的発想から考えました。 ですから、最初の計画は、異なるソースを結びつけるイネーブラーとしてデジタル技術を使用して、ブリコラージュを作ることでした。 また、小型画面向けの映像を大型画面に映したいと思いました。これが、当時Futuresplashと呼ばれていたFlashを、初めてシネマスクリーンに使用した例だと思います。

制作依頼に関しては、例えば、1年間、テレビゲームの観点で依頼し指揮しました。 グラフィック映画の制作者には、コンピュータゲームの美的感覚を持って欲しいと思ったのです。 私は、現代美術研究所を会場に、活気に満ちて若々しく気まぐれなメディアを映し出すあの緊張感が好きでした(すべての作品は審査のため、最初にロンドンの現代美術研究所で上映されました)。 現代美術は、その当時まったくこの分野には関与していませんでした。 映画はまだ始まったばかりでした(テレビゲームへの「適応」は急増していましたが)。 面白いことに、ワンドットゼロに参加した最初の著名な映画制作者は、アニメーション制作からスタートしたテリー・ギリアム(Terry Gilliam)氏でした。 当時、従来の映画制作者で参加する人は他にいませんでした。

あなたは従来の映画とデジタル作品とを明確に区別していますが、最終的な結果を出すのにどうしてそんなにメディアが重要なのでしょうか。

それは、映画を製作する手段である費用の問題だと思います。 費用が安いほど、クリエイティブな面を打ち出すことができます。

All Points Between

図3: ザ・ライト・サージョンズ制作のライブVJフィルム/イベント『All Points Between』からのイメージ。計画および制作においてハリソン氏が協力しています。

デジタルデザイナーと従来の映画制作者では、映画プロジェクトへのアプローチの仕方がどのように異なりますか。

簡単に言えば、デザイナーはビジュアルの観点で、映画制作者は物語の観点でアプローチします。 ですから、互いに学び合うことができます。 特にイギリスでは、文学的意図を映画で再現するという伝統の中でもがいていました。 ビジュアルはそれほど重視されていなかったのです。 またデザインの新鮮さも注目しました。これで映画のスタイルを一新できると思ったのです。 映画制作という分野は、別の分野と交わる機会があまりありませんでした。 2つの異なる世界を引き合わせるのは、難しいことです。 この2つの分野の垣根を越えて活躍している人はまだほとんどいませんが、この新しいビデオディレクターの世代では、そうした活動が始まっています。 モーショングラフィックスは、比較的新しい動画ジャンルである程度活用されるようになってますし、映画の分野にも少しずつ幅を広げてきています。 これは、一部の映画制作者に影響を与えることは間違いないでしょう。 キム・ジウン監督の『甘い人生』にはその影響が見られます。また、パク・チャヌク監督の『オールド・ボーイ』で画面が横方向に移動するシーンには、テレビゲームのダブルドラゴンの影響が見られます。 私は今、韓国映画に大変関心があります。とても活気があり、1990年代の日本映画のようです。

ミュージックビデオは、ビジュアルが物語と調和し、アバンギャルドが主流と融合する好例です。 最初はミュージックビデオには反対でした。大抵は、依頼元や放送局による制約事項が多いからです。 もちろん、簡単に長編映画に移ったビデオディレクターの例もあります。 スパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)氏の作品は、最も簡単にハリウッド映画の構造に取り入れられると思います。スタイル的に映画の枠にはまるのです。 それから、ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry)氏はまさに天才です。 彼はビデオと映画の両方で魅力的なリアリストです。 でも、必ずしも物語にフィットしないスタイルを持つビデオディレクターも大勢います。 ミュージックビデオのディレクターの中には、物語の印象を変えてしまう人もいます。 ジョナサン・グレイザー(Jonathan Glazer)氏がよい例です。 グレイザー氏は広告業界出身で、優秀なコピーライターと一緒に仕事をしていました。彼が長編作品で成功できるかどうかはまだ未知数です。

なぜデジタルデザイナーとミュージックビデオのディレクターは物語を扱うのが大変なのでしょうか。

デジタルフィルムではビジュアルの操作や制作に夢中になってしまいます。 どうにでも手を加えることができるので、物語以外の作品の方が当然簡単です。 グラフィック志向の映画制作者は、大抵、適切な資金調達計画を立てたり、長編映画の制作をスムーズに進められるような人ではありません。 それに、大概は、作家として優れているとは言えません。 異なる分野に転換するには問題があります。

デジタル技術が映画やビデオの性質をどのように変えたのか、特に、ストーリーの面でどのように変えたのかについてお聞かせください。

映画制作者は、まだデジタル技術の表面的な部分しか知りません。 どこまで既成概念の枠を超えられるかという点で、多少は常に制約を抱えています。それは、人、つまり観客をどこまで自分の世界に引き込めるかということを考えるからです。 そのため、面白いことはいつも限界の部分で起こります。

デジタル技術によって、物語は展開が激しくなりました。より柔軟で、掴みどころがなく、まとまりがなくなっています。 不完全であることもよくあります。 私は、この欠点や、非対称さが好きなのです。 私たちや次の世代では、「完璧に作られた」メディアは個性に欠けると思うのではないかと思います。 だから、例えば、『攻殻機動隊』を監督した押井守氏のSFや、日本ミュージックビデオ出身の紀里谷和明氏が監督した『キャシャーン』のようなものが好きなのです。

より多くのインターカットや編集を伴うデジタル編集によってこの分野が高度化している点で、激しい物語を作る傾向が加速していることが分かります。 別にすべてが早くなっていると言っているわけではありません。

Thumbnail Express

図4: ザ・ライト・サージョンズ制作、ハンソン氏プロデュース作品『Thumbnail Express』からのイメージ。 ライブVJイベントから生まれた「表現主義的ドキュメンタリー」短編映画の1つ。

テレビゲームのビジュアル言語はどのように映画に取り入れているのですか。

私はずっと、ポール・シュレーダー(Paul Schrader)氏がよく語っていた「floating rectangle」、つまり第三者の目で見たカメラワークの技法のファンでした。その手法を取り入れた伝統的な映画監督は、ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)氏です。 映画『暗殺の森』ではそうしたカメラワークを駆使し、作品の世界をたっぷりと映し出してくれます。 でも、デイビッド・フィンチャー(David Fincher)氏やクシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieslowski)氏など現代の映画監督を見ると、そのような視点には縛られていません。 カメラは今や、参加者であり主役なのです。 ごれはテレビゲームから来ていると思います。 新たな空間次元が生まれ、物語が断片化し、コンテキストが浮遊するというこれらすべての現象は、インタラクティブなゲームでお馴染みです。 コンソールゲーム、オンラインゲーム、インタラクティブな機器やデバイスなどがそうです。

鉄コン筋クリート

図5: 森本晃司監督『鉄コン筋クリート』からのイメージ。 ハンソン氏の著書『End of Celluloid』で取り上げられているアニメ映画。

成功したと実感したのはいつですか。 あなたが追求しているような領域は、業界全体に影響すると思いますか。

ワンドットゼロが3年目に入り、デザイナーやディレクターが自分のデジタル作品を出し始めたとき、人々の目にも具体的なものとなり始めました。 突然、業界に注目されるようになり、テクノロジーは成長し、ワンドットゼロはFuelやShynolaなどのスタジオをはじめとする多くの才能を抱えるようになりました。まだミュージックビデオ1本すら出していなかったのに、です。 そうした頃、プレイステーションなどの会社がスポンサーに名乗りを上げ始めました。 ワンドットゼロは通年のグローバルなフェスティバルになったのです。 私たちは、ベルリンや台北などの都市で、7日間プラスイベントというカプセルフェスティバルを始めました。 未来を作ろうとするとき、自分の構想が常に理解してもらえるとは限りません。ですから、何か具体的なものを見せて、一緒にやっていきたいと思ってもらうことが必要です。

当時の将来の構想はどのようなものでしたか。

大袈裟に聞こえますが、映画産業にもっと現代的なエネルギーを注ぎ込んだモデルを提供し、テストして、基本的にこのメディアを一新したいと思っていました。 シネマ言語は、昔から制作費が莫大なため、変化がとても遅いのです。 ですから、ワンドットゼロは実験的なフレームワークを作り、創作プロセスを変化させることが目的でした。 ライブのデジタルイベントを委託することも始めました。

どのようなイベントでしたか。

初めから新しいメディアパフォーマンスが生まれました。 でも、回を重ねるごとに、より洗練されたものになりました。 これは、VJのスーパーグループ、ザ・ライト・サージョンズと共に、「表現主義的ライブドキュメンタリー」と言えるものを制作した決定的瞬間のように感じました。 クリエイティブプロデューサーとしては、ビジュアルな作品をより物語的な領域に移行するフレームワークを与えただけでも、大変満足しています。 彼らは、『Electronic Manoeuvres』とその次の『APB: All Points Between』で、本当に進んで取り組んでいました。ライブイベントを利用して、インターナショナルツアーのパフォーマンスを通じ、粗削りの物語映画を洗練させるかのようでした。

the transvision

図6: 『transvision*』イベントからのイメージ。 ワンドットゼロ、2006年。

2001年末にワンドットゼロを辞めた理由は何ですか。

5年経って、テンプレートはほぼできました。ですから、先に進むのによい時期だったのです。 私の主な関心はイベント主催者としてではありません。フェスティバルの2年目にはシェーン・ウォルター(Shane Walter)氏というプロデューサーを呼びました。彼は何年もの間、プログラムの共同ディレクターでした。 私はこの場を離れて、この実験を「主流」の物語映画とどのように統合するかについて考えたかったのです。 シェーンが引き継いでくれることは分かっていました。彼は今でもフェスティバルのディレクターを務めています。 ワンドットゼロをプロデュースしている間は全く何も書かなかったので、自分の考えを書きたいと思いました。 ですから、過去10年間の動画に関するさまざまな経験を書くことに時間を費やしました。 その結果が、『The End of Celluloid』という本です。 それに、ほとんどの人が知っていたことですが、映画にまた関わりたかったのです。

Swarm of Angels

図7: Swarm of Angelsプロジェクトのポスター。

あなたは、映画と物語についてだけでなく、映画の制作方法についても定義も新たにしています。 A Swarm of Angelsについて教えてください。

やりたいと思って指揮していたプロジェクトのいくつかは、そのとおりにはならず、Web向けに考え始めていたあるアイデアへと変わりました。 私はデジタルフィルムの考えとWeb2.0の環境を融合して、長編映画を制作し配給したいと考えたのです 長編映画は、巨大で、古いビジネスモデルに基づいています。 ベンチャー資本とスタジオの資金を当てにするのではなく、資金調達のプロセスを全部省略して、人々のコミュニティに根ざした真に機動的な調達モデルを考えたいと思いました。 A Swarm of Angelsは非常に異なるビジネスモデルであるだけでなく、Web2.0コミュニティと、新しいメディアの持つリミックス性と変動性に基づいています。

このような方法で長編映画を監督したいと考えた当初の主な動機は、ミュージックビデオ、ゲーム、モーショングラフィックス、VJから取り入れた比較的新しい動画形式と、従来の長編映画の形式を、クリエイティブにコントロールして融合させたいというものでした。 プロモーション方法は、従来のオフラインメディアを使用するのではなく、(オンラインコミュニケーションによって伝播される)信頼の置ける声を反映させることを基本としています。

Swarm of Angels案内

図8: Swarm of Angels案内、2006年。

なぜクラウドソーシングがA Swarm of Angelsの発展に役立つと思うのですか。 それは将来の映画制作のコンテンツとプロデュースに影響を与えるでしょうか。

私たちは、映画をサポートしてくれる人々が加入してくださることで、映画の財源を確保しています。そのグローバルコミュニティによって、映画の主要ポジションの大部分を賄えると思っています。 ですから、このクラウドソーシングは、メンバーと一緒に発展させようと思っているA Swarm of Angelsのクリエイティブモデルの一面なのです。 クリエイティブな制作に新しい次元をもたらすでしょう。 映画は常に共同作業のメディアでした。ですから、クラウドソーシングはまさにぴったりなのです。 実際、通常の映画制作プロセスを強化するものです。 この100万ポンドを資金とした長編候補作のために作成中の2つの台本に、もう既に素晴らしいアイデアがあるのです。 Swarmが大きくなったら、新しく素晴らしい方法でクリエイティブな制作資産を活用し、私たちが達成したことを基礎にさらに発展していくような、活気に満ち溢れたリミックス的なコミュニティになるのではないかと期待しています。

これが映画制作の未来となると思っています。 少なくとも未来の1つとして。 制作に関して異なるモデルの余地は多いにありますが、これは本当にカルトメディアの制作にぴったりのモデルだと思います。 ディレクターとして、私は長編映画に対してもっとクリエイティブにコントロールしたいと思っています。Angelsは、普通ファンと呼ばれている(この言葉はこのコンテキストでは受動的すぎるように聞こえますが)人たちの集まりですが、映画制作の世界にさらに関わっていくでしょう。 より没入できるエンターテイメント体験で、希望すれば、さらに参加型のものになります。

クリエイティブコミュニティ、A Swarm of Angelsは5万人に制限しています。これは、グローバルなレベルで言えば極めて小さく排他的な人数です。 適切なコミュニティを作るためには多くの努力を必要とします。しかしそうすることで、Swarmは、自立したクリエイティブコミュニティとしてアーチストの作品をサポートする手段となるのです。 これはすごくエキサイティングなことです。

これにおけるインターネットの役割は何でしょうか。

こんなに分散したチームで映画制作を試みている人はいないと思います。 これがCinema 2.0です。現代の社会情勢とインターネットのネットワークパワーがなくては、不可能だったでしょう。 今のところ、クリエイティブ・コモンズのライセンスによる100万ポンド級のメディア作品を制作しようと提案するほど向こう見ずな人はいません。 人のイマジネーションに訴える何かが欲しかったのです。

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筆者について

Andrea Codringtonは、ニューヨークを拠点にデザインとビジュアルカルチャー分野で活躍するライター兼編集者。New York Times、I.D.、Metropolis、Cabinetなどの新聞雑誌に定期的に寄稿しています。モーショングラフィックスに関する話題を広く取り扱い、『Pause: 59 Minutes of Motion Graphics』(Universe、2000年)の共著者、『Kyle Cooper: Monographics』(Yale University Press、2003年)の著者でもあります。現在はPhaidon Pressの編集者を務めるかたわら、第一作となる小説を執筆中です。